吉次 潤
株式会社ヒューマナイズ代表取締役
キャリアコンサルタント
一般財団法人生涯学習開発財団 認定 ワークショップデザイナー
社会人スタート 〜波乱の幕開け?〜 (1989-1992)
就職活動をした頃はバブル期と言われる時代でした。同級生は続々と大手企業に就職を決める中、人材開発関連業界への就職活動をしていた私は、かなり浮いた存在だったような気がします。
運よく志望業界の企業に入社できたわけですが、入社後半年で一つの節目を迎えることになります。
父親の死です。父は塗装店を営んでいました。まだ40代半ばで、これからという時に、突然亡くなりました。当時母も40代半ば、弟は中学校に入学したばかりで、突然の出来事に家族はパニックになります。
いきなり様々な意思決定をしなければならない状況に陥りました。家族のこと・父の会社の従業員のこと、その関係者の方々から「これはどうする?あれはどうする?」と次々に投げかけられます。
未熟で知識も経験もありませんが、決めなければ何も進展しない状態です。逆に言えば、誰も答えを持っているわけないので、次から次に決めていきました。結局、父親の会社を解散し、日本マンパワー九州支社(福岡)に転勤させていただき、仕事を続けることにしました。
チャンス 〜学ぶ機会をいただく〜 (1992-1996)
それから三年後にまた転機が訪れます。お世話になっていた上司の異動に伴い、九州の責任者のポジションに就くことになりました。当時、試験的に若手を登用してみようということもあり、チャンスが巡ってきた訳です。拠点ごとに利益管理をしていたため、営業・マネジメント両面で大変勉強になりました。新卒入社4年目という早いタイミングで拠点管理を任せるケースは無かったため、周囲の反応は様々だったような気がします。
様々な反応を打ち消すためにも、結果を出すことにこだわり、年間で1億円以上の粗利を作りました。ただ、頑張りすぎたためか一ヶ月以上入院することになります。入院する時には、「自分がいなければ…」と思い込んでいましたが、いざ入院してみると、普通に回っているのを見て、少し寂しかったような気もします(当たり前ですが)。
同時にこの入院で、少し落ち着いて自分のことを考える時間ができました。元々、漠然と30歳ぐらいになったら独立したいと考えていましたので、29歳で独立・創業することにしました。
独立・創業 〜いきなりの挫折感〜 (1996-1999)
1996年、ワイズプロジェクト設立。
幸いなことに最初は、前職の仕事を手伝うことも多く、また丁度やインターネットが普及し始める時期でもあり、中小企業向けにPCの導入支援なども少しずつ手がけていました。
しかし、徐々に前職の仕事を手伝うことができなくなり、さらにお手伝いしていた中小企業の経営者の方が亡くなるという出来事がありました。残された遺族の方々が意気消沈される中、追い討ちをかけるように周囲の態度が変わっていくのを見て、上手く表現できませんが怖くなっていました。
不思議なもので、自分の親が亡くなった時は身内の事なので何かしら手が尽くせますが、他人の事は当たり前ですが何もできない、ただ無力感に打ちのめされていました。
何かをしなくてはという意思はあるものの、心身ともに動き出せない、そんな日々が続いていました。
転機 〜拾う神あり?〜 (1999-2007)
そんな中、私に声をかけていただいたのが、スピリッツ社の竹内社長です。1999年、丁度創業されるタイミングで出会い、以後7年間お手伝いすることになります。
また、同じぐらいのタイミングで日本生産性本部様が国の事業の一環として全国で中高年齢ホワイカラーの就職支援を行うキャリア交流プラザ事業を開始されることになり、「福岡キャリア交流プラザ」の指導講師として仕事をすることになりました。
スピリッツ社は、ファーストリテイリング(ユニクロ)社の採用支援を手がけたこともあり、順調に業容を拡大し、やがて東京に本社を移していきます。また「福岡キャリア交流プラザ」では、公共事業としては異例の?長期間(7年間)お手伝いさせていただき、のべ2000名以上のメンタル面も含めた就職支援の指導機会をいただくことができました。
二つの大きな仕事をいただく中、プライベートではまた転機が訪れます。母が癌に冒されていました。60歳の誕生日に検査入院し、病院から呼び出され「完治しない、命はもって3ヶ月」と言われた場面を今でも覚えています。そこからまた葛藤の日々が続きます…その半年後に母は永眠しました。
社名を変えて新たなスタート 〜ヒューマナイズ誕生〜 (2007-2011)
スピリッツ社も順調に業務を拡大し、本社を東京に移転し、従業員も徐々に増えていきました。今まで以上に幅広く人材開発・組織開発に取り組みたい、福岡・九州という場所にこだわりたいという思いが強くなり、2007年、スピリッツ社の事業から離れると共にワイズプロジェクトをヒューマナイズへ社名変更し、新たな枠組みを作ることを決断しました。
新体制で得られるものもあれば、失うものもありました。2008年のジョブ・カード制度立ち上げに伴い、ジョブ・カード講習の講師を務めるなど新たな機会をいただく一方で、大切にしていたクライアントが倒産することもありました。
またプライベートでは三人の子供たちが、それぞれ大学、高校、中学と進学する中でそれぞれに様々な問題に苦しみ始める時期でもありました。
学び直し、問い直し ~新たな道の探求・探究~(2011-2020)
社会人になってから、父が亡くなった年齢(45歳)を超えることが、一つの目標でした。その年齢を超え、また同じ時期に起こった東日本大震災の影響も含め、改めて働くこと、生きることに関しても考え直す時間が増えました。人材開発や組織開発サービスに携わるにあたり、もう一度学び直しをしたいと考え、青山学院大学ワークショップデザイナー育成プログラム(WSD)への通学したり、キャリアカウンセリング、非構成的エンカウンターグループなど、色々な勉強会に参加しました。様々な学びの場に通うことで、また新たな繋がりをたくさんいただくことになりました。
2014年に多様な働き方を発信していきたいという思いから「キャリア・バラエティ」をスタート、また九州各地で働き方改革推進、女性活躍推進関連の事業にも携わることになりました。また福岡女子大学・社会人リカレント教育プログラムを一部担当させていただくなど、学び直しを学ぶことで学び直しに携わることにもなりました。
─ これから
平成元年(1989年)に社会人スタートから、30年以上、人材に関する仕事に携わってきました。50代に入って、保育園の理事に就任する機会をいただくなど、他社・他団体の経営に携わる機会も増えてきました。
父が亡くなった年齢を超えて、母が亡くなった年齢も近づくにつれ、そんなに時間が残っているとも思えません。一つでも多く、地域に貢献できる「人づくり」「組織づくり」「事業づくり」に関わりたいと考えています。
コロナの影響もあり、働き方や働くことも変化し続けている状況です。しかし、いつの時代にも人と人のつながりの中で、新たな可能性に巡り合えていることも事実です。
人を真ん中に考え、一人一人が有する可能性を信じることが原点です。
これまでたくさん機会をいただいてきたので、次世代に機会を提供できるようになりたいですね。
2021年8月 株式会社ヒューマナイズ 代表取締役 吉次 潤